作曲家がどんな人だったのかを知るべきだろうか

何かの曲を演奏しようとするときに、その作曲家がどんな人だったのかを知っておくべきだ、と良く言われます。

でも、ヘソ曲がりかもしれないけれど、私はそうは思わないんです。

 

ベートーベンはアンナマグダレーナのところで書いたように決して正義の人ではなかったし、永遠の恋人を人知れず思って心を焦がしていた人でも無かったので、幻想では有るけれど、頑固で真面目で人知れず片思いばかりしていた純情な正義漢・・・、だと思って彼の曲を演奏する方が、アンナを助けず8人の女性と交際し未亡人を妊娠させた勝手な男、だと思って演奏するよりも、ずっと曲に合った良い演奏が出来ると思うのです。


ワーグナーを演奏するときに、友人の妻を横取りした男だと思いながら演奏すると、あの音楽をより感動的に演奏出来るでしょうか。

そんなことは無いと思うんですよ。

ドビュッシーやプロコフィエフも人には好かれない性格の人だったようですし、バッハは金銭欲が強かったし、そんなことは知らない方が良いと思うのです。

 

並み外れた天才にはあまり良い人というか普通の人はいない感じです。(ハイドンは例外)

昨日のブログに書いたニュートンも変人だったようですし、ガリレオは傲慢な人で、アインシュタインにいたっては妻を虐待していたそうです。

舌を出しておどけているあの写真に騙されてはいけない、と書いて有りました。

 

音楽に戻ると、名指揮者フルトベングラーもとんでもない人で、ありとあらゆる手段を用いてカラヤンを蹴落とそうとし、新聞にカラヤンをべた褒めする記事を書いた記者を、ゲッペルスに頼んで戦場へ召喚させ戦死させたり、カラヤンを客演指揮者に呼ぶならオレはもう指揮してやらない!、とウイーンフィルを何度も脅したそうです。

 

そんなことを知っていると彼が指揮した第九が更に感動的に聞こえる訳でもないと思ので、やはり「人」がどうだったかについては考えない方が良いと思う。