今年の音楽コンクール 作曲部門は

昨年は演奏者として田中せい子先生が出演されているのがテレビに映し出され、まったく予期していなかったのでとても驚いたが、今年のテーマはオーケストラ曲なので、そのようなサプライズはないだろうと思いながら録画したのを今見ているところ。

 

感想は、毎年見ているけれど、正直言って全然進歩してないと思う。

作曲技術もアイデアも音楽性も。

ずーっと何年も何年も、進歩のシの字も無いと思う。

特に音楽性は皆無かも。

 

1曲ごとに書くと、

まず、第3位の作品。

誰が聴いても松村禎三の真似だと思うだろう。

松村が50年前に書いた「交響曲1番」にそっくり。

ハッキリ言って、この曲が本選に残り、かつ3位に選ばれたという事実は、日本のクラシック音楽作曲界の現状を絶望させる。

 

続いて、第2位の作品。

あらら、いきなりペンデレツキーの「広島の犠牲者への哀歌」を思わせる音が聴こえてきて、一瞬お前もかと思う。

広島の犠牲者への哀歌は、松村の曲よりも更に古い曲。

3位の曲と違うところは、ところどころで調性音楽的な音が聴こえるところか。

そんな部分では、一瞬、音楽を感じる。

でも大半の部分は特段の新規性も無い音響を羅列しているだけ。

 

第1位。

作曲者が聴く人に何を感じさせたいのか、どんな体験をさせたいと思って書いたのか全く分からない曲。

解説によると、作曲者は微分音を使うことで生じる音のズレやゆらぎにこそ人間心理の微細な表現の可能性を感じる、らしい。

しかし、この曲は人間心理の表出などまったく出来ていない。

単にピッチが大幅にズレたまま弾いているだけの曲、にしか聴こえない。

先に書いた「広島の犠牲者への哀歌」の微分音によるトーンクラスターがもたらす激しい感情や言いようのない不安感のかけらも無い。

だいたい、何を狙って書いたのかが本当に全く伝わって来ない。

 

悲しいかな・・・、毎年こんなもの。

音楽になっていないのだ。

単に音響を練習しただけの曲ばかり。

音響の” 実験 ”ならまだマシなのだが、何十年も聴いてきた古い音響をなぞるだけ。

音楽を作れないのなら、せめて革新的な音を響かせてやるぞという意気込みくらいは見せて欲しい。

そして、審査員には「今年も入選者無し」 と言う勇気を持って欲しい。

ペンデレツキーの「広島の犠牲者のための哀歌」。作曲されたのは55年前。)

松村禎三の「交響曲1番」。作曲されたのは50年前。)