モーツァルトの再来とウィーンを驚嘆させたコルンゴルトの悲話

1897年に生まれたコルンゴルトの曲で知っているのは「バイオリン協奏曲」と「雪だるま」だけであるが、何かの解説に書いてあった>爛熟した後期ロマン派和声を駆使して、7歳で歌曲やワルツ、9歳でカンタータ、11歳でバレエ音楽を書いた天才で、モーツァルトに匹敵するかそれ以上と言われたが成人してからは不運であった、くらいは知っていたが、詳しく知らなかったので、その生涯に関する本を借りて読んでいるところ。

 

本によると、モーツァルトの場合は年齢相応の幼い曲だったのに対して、コルンゴルトは爛熟した後期ロマン派的手法の曲を10回しかオーケストラを聴いていないにも関わらず書き、しかもその曲には幼さが微塵も見られず、感情表現も子供が書いたとは信じられないような曲を書いた、と言うことなので、当時のウィーンの人たちが驚嘆し大興奮したことは想像に難くない。

 

彼が13歳のときに「雪だるま」というバレエ音楽のコンサートがウィーン宮廷歌劇場で行われた。

*下のyoutube動画をクリック!(雪だるま中のセレナーデ)

そのとき詰めかけた客の中にはオーストリア皇帝とベルギー国王がおり、上流貴族から政府関係者までがことごとく詰めかけて、歌劇場は各界の名士たちで満席となったらしい。

 

しかし、ウィーンの人々は、子供の曲がすごい曲であるはずがない。高名な音楽批評家だった父親が圧力を掛けてこの公演を行わせたのだろうと思っていたらしい。

ところが、前奏曲が始まると・・・「何と可憐な音楽なのだろう!」、と人々は耳を疑ったという。

 

「雪だるま」は1幕2場の40分もかかる本格的な舞台音楽で、付加音や変化和音、増三和音などを多用した爛熟した後期ロマン派ハーモニーと、情景を生き生きと描き出す表出力、シンフォニックな展開、そして歌心に溢れた魅惑的な旋律で、全曲が終わると割れんばかりの拍手が響き渡ったらしい。

 

そして拍手と歓声に促されて舞台に出て来た観客が目にしたのは、ぽっちゃりした13歳のかわいい少年であった。しかし、観客の大部分はこの子がこの曲を書いたのは実は更に2年前の11歳の時だったことをまだ知らなかった・・・。という、大天才の登場に相応しいセンセーショナルなデビューであった。

 

子供の頃にマーラーやシェーンベルク、ツェムリンスキーなどと交流があったことも書かれており、私の中ではそれらの作曲家は単独の存在だったのだが、ワルターなども含めてつながりが有ったことが分かり非常に興味深かった。

 

このまま読み進めたいところだが、10%ほどしか読んでいないところで、不運な生涯であったともう書かれており、可哀そうになってもう読みたくなくなってしまった。

『かくして13歳のコルンゴルトは、生涯最初の成功の日から早くも芸術外の動機による陰口や妬みの犠牲となった。そしてこの運命は彼の生涯を通じて繰り返し繰り返しつきまとうのである』

 

ああ、もう読みたくない。

 

この曲を書いたのが11歳の男の子だとはとても思えません。素晴らしいですね。

(松田理奈の演奏が一番好きですが、動画が見つかりませんでした)