指揮者無しで第9に挑戦という番組を見て

番組の紹介に指揮者無しで第9を演奏することがとても素晴らしいことのように書いてありましたが、正直なところ、そうかな~?と思いました。

 

リコーダーや弦楽器・管楽器のアンサンブルで指揮者有り無し両方を経験し、指揮者無しのオーケストラの実演も聴いたことが有りましたので、指揮者無しのデメリットを分かっている積りだったからです。

 

テレビで放送された練習風景を見て、予想が当たったなと思いました。

 

練習のほとんどの時間を、縦の線を合わせることに費やしていたのです。

それと、各楽器の音量バランスの調整と。

コントラバスの歌い方についての意見調整もありましたが、歌い方についてはその1ヵ所だけでした。

 

指揮者がいなければ自分たちのしたい演奏が出来る!、と奏者たちは思ったようですが、100人いれば100人とも良しとする表現が異なるので、結局、声の大きい人の意見が採用されて進んでいきました。

 

リコーダー四重奏や弦楽四重奏などの小さなアンサンブルは指揮者無しでも容易に合わせることができ、且つ各奏者の音楽性が十分に発揮されて面白いですが、100人もいるオーケストラはわけが違うのです。

 

テレビではコンサートマスターが指揮者の役割を自分から買って出てやっているように見えました。

声の大きい人はコンサートマスターだったのです。

 

結局指揮者の言う通りではなく、コンサートマスターの言う通りに弾いているだけ?、と思いました。それって、何か意味が有るの?と思いました。

 

指揮者が棒を振っていれば縦の線は自然と合う(合っていなければ指揮者が指摘してすぐに合う)し、各楽器の音量バランスや歌い方の調整も同様というか、もっと高いレベルで行われます。

わざわざ長時間の練習をしてやっと合う状態にすることに何の意味があるのかと思いました。

 

最もダメだと思ったのは、音楽全体の構成と表情付けについてが、全く議論されていなかったことです。山と谷をどのように持って行くか、聴かせどころをどのように演奏するか、などについてです。

 

その結果、最終的に行われた演奏は何の特徴もない当り障りないものでした。

指揮者がいなければこんなにすごい演奏が出来るんだぜ!、とか、ものすごい感動を聴衆に与えられた、ということは全く無く、どうでもいい演奏にしかなっていませんでした。

(追記)その後放送された井上道義指揮・N響の第9を聴いた方はその違いに驚かれたのではないでしょうか。

 

指揮者無しで第9演奏に挑戦!、という宣伝文句を見てそれだけで感動する人はある意味幸せですが、一流のプロ奏者としてやっている人たちなんだから、合わせが出来た!という次元ではない演奏をして欲しかったと思いました。